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第249段:疲れてませんか?

「お疲れ様でした」と声をかけながら仕事を終える風景が定着してしまいました。
いつのまにか「お先に失礼します」という言葉が用いられなくなったような気がします。
目上の人からの「ご苦労さま」というねぎらいの言葉に近い「お疲れ様でした」という言葉が部下のほうから出るようになり「アレレ?」と感じておられる方もあるのではないでしょうか?
電話の場合でも「お疲れ様です、○○です」と自分の会社に電話をしている方も増えているように感じています。

疲れをターゲットにしたリラクゼーションやマッサージなどが賑わう昨今は、日本中がお疲れモードに入っているような気がしてなりません。

先日ある高等学校で体調を調査してみましたら、一番訴えが多かったのが「疲れている、疲れが取れない」でした。
部活動や勉強に疲れているようですね。
次に「睡眠不足」、そして「目がかすむ」、ついで「立ちくらみ」、「便秘」、「下痢」、「頭痛」と続きます。

訴えの大半は休養時間が足りないことから起こっているようです。
小学校に入る前から親の不規則な生活に振り回されていた今の高校生などは疲労が蓄積された状態しか知らずに育っているのではないかと考えます。
疲れが取れているときの気持ちのよさを体感したことがないのではないかと疑ってしまいます。
今回は、ここ数年取り上げられることが多くなった「慢性疲労症候群」について説明をしてみましょう。
慢性疲労症候群は慢性の激しい疲労感が主体で、微熱、頭痛、筋肉痛などの全身症状があり、睡眠障害、抑うつ気分などの症状を伴う状態が6ヶ月以上続くか、繰り返して起こるとされています。
20歳から50歳に多く、男性よりも女性のほうが約2倍多いとされています。
原因は不明で確立した治療法もありません。一部の医師の中には本当に独立した病気かどうかまだ疑いがあるという意見もあり、すべての医師に認知されている病気だとは言えません。

疲れに加わる睡眠障害は過眠になっていることが多く、疲れているのでぐっすり眠りたい、長く眠りたいと希望して睡眠薬などを使用してかえって体調を崩している人もいるようです。
そして過眠になっている人たちの特徴は浅い眠りを長くしているために目覚めても熟睡感がないので疲れを取るためにさらに寝ようとしてしまいます。
そのため益々睡眠が浅くなり疲れがたまっているように感じてしまうのです。

人間の睡眠時間はアメリカの研究では7時間半の人がもっとも長寿という説もあり、長さよりもその質のほうが大切なようです。
睡眠の質つまり熟睡感(熟眠感)が悪い患者さんは、寝る前から「多分寝ても疲れが取れないだろうな」と考えながら布団に入っておられるケースが多いようです。
心療内科の分野では比較的多く治療に用いられる自律訓練法というリラクゼーションのトレーニングでは、寝るときに次のような言葉をイメージすると良いといわれています。
「明日の朝6時30分(自分が目覚めたい時間)になるとすっかり疲れが取れて、気持ちよく目が覚める」という文を何度も繰り返して使用します。
このイメージのときに「・・・・目が覚めるといいなあ」、とか「・・・・目が覚めて欲しいなあ」、「目が覚めてもやっぱりだめじゃないかなあ」などというような願望の気持ちや否定的なイメージを抱くと気持ちの良い目覚めになりません。
基本的には「疲れが取れて気持ちよく目覚めて、はつらつとした自分の姿をイメージする」ことが大切なようです。

しかしながら、疲れを治して欲しい患者さんのほとんどが、そんなイメージを抱くことができないほど精神的にまいっている人が多いのです。
こんな状態を「抑うつ気分」とか「抑うつ状態」と呼んでいます。

気分的に落ち込んで疲れが取れていないときにこの慢性疲労症候群のことを読むと、自分はこれだと勘違いしてしまい、原因も不明で決定的な治療法もないと知ると益々悪化させてしまうのです。
そして医師が厳密に診断基準と照らし合わせて慢性疲労症候群ではないと診断しても、短期間のうちに自分が満足するだけ改善しなければ、医師が誤診しているというような思い込みからさらに症状を悪化させている患者さんが少なくありません。

テレビやビデオでみたいプログラムが沢山ある。
インターネットや電子メールも使わざるを得ない、家族の絆も地域や社会との交流もと欲張り始めると休養の時間が最初に削られるようです。

景気の回復と同時に疲れからの回復もしていただきたいですね。

「東京ビルヂング」から
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第248段:年をとるのはいやですか?

子供のころには自分の年齢を若く見られると馬鹿にされていると感じていた自分が最近は年よりも若く見られると嬉しくなっていることに気づきました。
心の底に年をとることに抵抗があるようです。
患者さんにも「高齢ですから自重して・・・」とお話すると、「私を年寄り扱いしないで下さい。」と答えられる80代の方が時々おられますので、最近は「どちらかといえばお若い方ではありませんので・・・」という言い回しにしています。

老人とか老化という言葉はそんなに嫌われるものだろうかと考えてみました。
老人の老という字には年をとったという意味もありますが、経験をつんでそつがないとか、物事を良く知っている人という意味もあり、江戸時代幕府の大老とか老中などという役職に使われていた字であることを思い出せば決して嫌われる文字ではないと思うのです。
尊敬に値する人の意味もありますし、年をとったことは病気もせず生活習慣が理想的であったことの証ですのでもっと胸を張り自慢するのが当然なのではないでしょうか?

自分が70年も生きてきたのに65年程しか生きていないように若く見られるということは、経験をつんだ証が顔や体に出ていないということで恥ずかしいと考えることはできないのでしょうか?

老化すると体が動きにくくなりみんなの足手まといになったり、みんなに迷惑を掛けているからいやだと話される方が多いですね。
いつ頃からかこんな風潮が出てきたのでしょうか?
世の中に老人を敬い大切にする気持ちがなくなったことに老人が抗おうとせず自らを納得させるために自らを「老害」などという言葉で蔑んでいるのではないでしょうか?

私は益田市の中の谷、丸竹地区で10年以上前から毎年11月に、健康講話を担当しています。
地域の方々と毎年健康問題について話をしていますが高血圧や糖尿病、痴呆などの話が一通り終わり、最近は高齢者の生きがいなどということを話題に意見を交換するようになりました。
生まれたときからの年数から考えて「もう余り仕事はできませんよ」と話される方、死ぬときから逆算して「まだ10年は生きられそうだからやりたいことがある。」などと様々な答えが返ってきます。
酒瓶を見て「まだ半分も残っている」と考えるか、「もう半分しか残っていない」と考えるのと同様です。
少子高齢化社会の典型的な地区ですので高齢者自身が更に健康的な人生を送れるかどうかが地区の活性化対策そのものなのです。
年齢を考えて無理はしないで欲しいのですが、年齢を加えることに肯定的な考えがもてるようになってこそ本当の高齢者の時代になれるのではないかと考えています。

山陰中央新報「いわみ談話室」から

第247段:高津川の河原で触れ合って

趣味の写真撮影を中断して十数年経過した一昨年、旅行を契機に新しいカメラを手に入れ再び写真撮影を始めました。

日常生活の合間に撮影できる被写体は何かと考えているうちに高津川をテーマに写真を撮ろうと思い立ち、自動車で川沿いの道を走り橋の上から上から上流と下流を撮影することを決めました。

本流の高津川だけで、河口の高津大橋から六日市町田野原の水源公園までが約81km、川沿いに上ってゆけば80箇所以上に橋がかかっています。
本流からは匹見川、津和野川など数多くの支流がありそれらを含めれば南北44km、東西40kmに広がり島根県の全県面積の16%を占める流域面積。
川の総延長は500km以上になっています。

多くの支流をさかのぼり、橋があれば車を止め、写真を撮り記録をする作業の繰り返しです。
今までに400カ所以上の橋の上から写真を撮り終えましたが、未撮影の場所も数多く残されています。
山奥まで橋を探して入ったついでに林道を走って高いところから川を眺めたり、気が向けば河原に下りて水と戯れたりしながらの撮影です。
今まで知らなかった高津川の表情が見えてくるようになりました。

この高津川をほかの方にも知っていただきたいと考え始めたころ、私の所属する益田西ロータリークラブで青少年に対する活動として高津川を探検させる企画が持ち上がりました。
昨年は単独で事業を実施し、今年は7月15日に国土交通省中国地方整備局浜田工事事務所と共催で小中学生を集め、高津川や流域の地質や自然について学ぶ会を開催しました。
今年は水辺の植物や水辺の昆虫、高津川に住む淡水魚について学習しました。
学校のプールを利用することが多く、夏休みになっても川で泳ぐことが減った子どもたちにも、川との触れ合いで再発見があったようです。

河川が汚染されるとゴイサギが出現するという話を聞いた後に川の周辺を眺めると清流と考えていた高津川の上流の地域にもその姿がありました。
全国的にみても清流とかきれいな川といえるほどの環境基準ではないようです。
人口は減っていても川は汚れてゆく現実を見ていると、決して環境保護派の旗手ではない私でさえ悲しくなるほどです。

「鮎(あゆ)がいる河原には鮎の香りが漂っていますよ」と話してくださった男性の言葉が耳に残っています。
鮎の香りのする高津川の香りを楽しみに、この夏、河原にまで足を運んでみませんか?
きっと新しい発見があると思います。

山陰中央新報「いわみ談話室」から

第246段:親からの教え再点検を

「腹が減っては戦さはできぬ」、「しっかり食べて栄養をつけなくては」、「出された食事を残すような無作法をしないように」、「せっかくの休みだからのんびりして休養を」などと、親から教えられた年代の方々に「腹八分目で食事は残してください。
たくさん食べると病気になりますよ。
肉体労働がほとんどないので体を動かすために歩きましょう」と指導をしています。
なぜだと思われますか?

かつて「成人病」といわれた高血圧や糖尿病、ガンなどの病気の一群が生活習慣病と呼ばれるようになり、名前はすっかり定着しました。
そんな患者さんと診察室で話をしてみると多くの場合に子供の時代に親から教わった生活規範が色濃く残されています。
「もったいない」、「失礼に当たる」などという答えが返ってくるのです。
健康のために日常生活の行動様式を変えるということが極めて困難な様子が伺え、やはり「三つ子の魂百まで」ということわざを思い出さざるを得ません。

今までの生活で特に支障の起こっていない方々に「血圧が高いです」、「糖尿病です」とお話しても自分が病気とは考えられないのが普通でしょう。
生活習慣病の大半は健診などで発見された時点ではほとんど無症状ですから治療開始後に通院を中断しても全く体調が悪くなるなどということはほとんどありません。
また健康診断を受けて受診が必要といわれても1年、2年と放置していても一向に体調に変化が感じられないことが多く、あてにならない健康診断、意味のない治療というレッテルを貼られてしまいがちです。
やがて変化を感じるようになるとすでに手遅れの状態であることも少なくないのですが、無症状という力は医師や保健婦の努力を打ち負かしてしまいます。

11月初旬に禁煙の話を島根県立邑智高校で行いました。
年少者に対する禁煙指導は無症状の方への病気予防の啓もう活動の一つで、きわめて困難です。
高校生は生まれて20年に満たないわけですから、30年後あるいは40年後に起こる病気の話をしても自分が経験したことのないほどの長い年月の後の話ですから、現実感のない世界の話に終始してしまう可能性がありました。

子供の喫煙問題は看過できない健康問題ですが、極めて消極的な日本のタバコ対策に問題があります。島根県内の男子高校生の喫煙率は30%を超えています。同じく女子では10%を超えています。一度でも喫煙を経験したことのある割合はそれぞれ50%、30%を超えています。

人間は身内や友人などに異常が起こって初めて自分にも禍が襲ってくるのではないかと心配になり身を守るための努力を開始します。
生活習慣病は危機を感じてから対策をはじめても間に合わない病気と考えてもよいでしょう。
子供のときに親から教わった生活習慣が現在も通用するかどうかを再点検する必要があるのではないでしょうか?

2001年11月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第245段:今、エイズ教育?

最近のエイズ(AIDS)に関する話題はエイズの治療薬の特許料を優先するか、人道的立場からそれを無視して治療薬を安く供給するかですが、今回はこの話題とは異なるエイズの話をしてみましょう。

文部科学省指定の「エイズ教育推進地域事業」は3年間の計画で教育・広報活動を行っています。
益田市では事業の3年目を迎え、今年の世界エイズデイ(12月1日)を中心にした事業や、指定校になった小学校2校、中学校1校、高校1校、さらに地域の公民館活動などで様々な教育・広報活動が行われています。

今年2月に東京で「エイズ教育学会」が開催され、「大半の先進国ではエイズの感染者と死亡者数が減少しマスメディアや人々の関心が他に移ってしまった。
ところが日本の状況は死亡者数が減少しても感染者数は現在も増えている」と報告されました。
かつて「エイズの予防には教育が一番」と言われていたことを思い出し、益田市でのエイズ教育推進地域事業が決して時代遅れのものではなくタイムリーなものであるということを再認識しました。

益田地域では平成3年に産声を上げた島根県性教育連絡協議会という組織があります。
小中学校の教職員を中心にした研究会で、その活動は全国的にも高い評価を受けており、数年前に私が参加した熊本市での外来小児科学会のワークショップでも話題になったほどです。
現在、組織が若干縮小したため、本年度からは組織の建て直しを図る目的で子供達の逸脱行動としてのタバコ、アルコール、覚せい剤、エイズなども研究の対象に含めて考えようということになりました。

私もこの協議会に属している関係で、小中学校の性やエイズに関する研究授業などにも参加しています。
学年により自分の体のことを学ぶ場合や、他人を思いやる心を知る授業構成、ケガや病気で他人の血液に触れるかどうかを考えさせるなど、部外者の考えているエイズ教育とは随分異なっています。
エイズの教育は病気の理解や予防だけではなく周囲からの感染者に対する差別や偏見を理解し人権を学ぶ場でもあります。
授業は単に医学的知識の詰め込みではなく、さまざまな問題に的確な判断ができる力をはぐくむ内容になっており、現場の教職員の苦心がうかがえます。

「こんな地域でもエイズの話が必要なのか?」としばしば聞かれます。
「教えておけば逃れることができるのに、教えずに感染や偏見と戦わせる必要はありません」と答えています。
今年度で推進事業は終了しますが、性病エイズの終点は人類にはありません。
この活動が来年度以降も様々な形で根付くように努力したいと考えております。

2001年5月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第244段:生活バスの乗って

「次回の検査は何時にしましょうか?」との私の質問に「何時でもいいですよ、バスが通るようになったので便利になりましたから」とにっこりと答えられる老人の顔がありました。
益田市運行させている生活バスが平成14年3月1日から走りはじめて出てきた笑顔です。最寄のバス停までが4~5キロメートルそれも山道で、自動車が自由に使える住民にはたいした不自由を感じない距離ですが、自転車や徒歩だけが頼りの交通弱者にはかなりのストレスだったようです。
天気のよい日なら問題ありませんが、雨や雪の日が大変であったことは容易に想像ができます。

10年以上も前にある老人が怪我をされ処置に通院されていました。
車のない家庭でしたので通院はタクシーでした。
片道7キロメートル以上、タクシーは自宅まで「迎えメーター」で走ってきてそれから賃走、帰りもタクシー、「1回通院すると1万円以上かかります。
治療費が高くなってもいいので通院回数が減るような治療はないですか?」という質問に、答えを探し当てられなかったことを思い出します。

そんな地域に定期バス路線が開設されました。
普段、訪問診療などに訪れる地域ですので道筋や景色に別に目新しさはありませんでしたが、走り始めた「生活バスや路線はどんな様子なのだろうか?」とある日乗ってみました。
乗客は始発のバス停では私一人、運転手さんと話しながらの出発でした。
「医療機関への通院と買い物のためのバスだからね」と運転手さん。
「土・日・祝日・年末年始は運休です。お盆もほとんど乗る人はいないね。
多い時には乗客が10人くらいになることもあるけど・・・」などと話しているうちに、もう一人利用者が乗ってこられました。
結局この便の利用者は2名だけ、約1時間走行して終点へ、途中で国道9号線と合流すると乗車はできない区間となり、しばらく走るとまた別の山筋にはいるというようなルートで益田市内の公共交通機関から置き去りにされていた地域を結んでゆきます。
人口も少なく家も点在し高齢者が多い地域ですので、とても採算が取れそうな路線ではありません。
「この家のあの人もこのバスを利用できるようになった、あっちの家の方もこのバスに乗るのだな、ここの家には自由に使える車があるよな」などと考えながら決して快適ではないバスに乗って考えていました。

1日2往復の路線が4路線、1日1往復の路線が2路線の生活バスですが、自分の車で動く人からすれば不便そうに見えても、近所の人の出かける用事に合わせての同乗で用を済ませていた人たちにはやっと他人に迷惑をかけないですむ足が確保されたのです。
生活バスに乗って
「便利になりましたよ」と答えられる方々の笑顔を見ていると、「採算が・・・」とか「利用者数が・・・」という論点ばかりでなく、どれだけの喜びを住んでいる住民に提供できるのかという行政サービスの物差しも必要なのではないかと考えてしまいました。

第243段:診察室での交流

「雪折れの 枝も逆さに 芽吹きより」1996年に1回目の脳梗塞で歩行や発語が不自由になり、2000年の2回目の脳梗塞発作で症状が悪化した75歳の男性の俳句です。

診察が一通り終了すると私から「今日の一句は?」と促さないと俳句が出てこない日もありますが、いい句ができた日には診察前に「今日の一句を披露しますよ」と自ら声を出されます。
時には「その一句 思い浮かばぬ 時もあり」などという声が響き診察中に思わぬ笑い声が出てしまいます。

さすがに2度目の脳梗塞発作の後からは言葉も途切れがちになり、2度3度と俳句を繰り返していただいてカルテに書き取る日も。
ご本人は「川柳ですよ」と謙遜されますが、時間がある日には俳句の季語や使う漢字を丁寧に説明していただきます。
「これもリハビリですからね」と話しながら季節感あふれる楽しい診療をしています。

診察室の中で聴診器を使ったり、体を診るばかりが診察ではありません。
世間話をしているように見えても、実際は様々な角度から患者さんの様子を診ています。
急性の自覚症状が多い病気の治療が主体であった時代から、慢性で自覚症状の乏しい病気の管理が主体の治療になると、身体的な異常の観察だけでなく、例えば俳句の題材に何を選ばれるかで、周囲の変化をどの程度細かく認識しているかの参考になりますし、重大事件が話題にならないというのは世間への関心が薄れた証拠と考えます。

小児でもいつものおもちゃを持ってくる時は調子がよい証拠ですし、診察室の中のおもちゃに手が出なければどこか不調だなと感じてしまいます。
診察の合間にあや取りをしてみたり、テレビのキャラクターのおもちゃで遊んだり様々な方法でコミュニケーションをとっています。

生活習慣病と呼ばれるグループの病気は患者さん個人個人の生活習慣を知らなければ療養上の指導が上手にできません。
実行不可能な生活習慣を要求してもよい結果は得られませんし、人生のすべてを病気療養のために費やすのはいやだという方もあります。
昔に比べ医師と患者さんの関係は上下関係のような状態から、お互いが対等で水平関係のような状態になりました。

自分の人生をどのように過ごしたいかということを主張されることが自然になってきました。
しかし、専門知識をもった玄人と素人が同じ土俵で相撲が取れないのと同じで、医師と患者の間のバランス感覚を忘れてしまうと、
「医師というだけで偉そうにしている!」とか
「素人のくせに生意気だ!」という誤解や行き違いが生まれてきます。

診察室も待合室も交流の場としての機能が必要だと考える私は、診療中も白衣を着ることはほとんどなくシャツにネクタイ姿です。
診察室とは何をするところだろうかと考えることがありますよ。

第242段:在宅での死か施設での死か

「ご臨終です。・・・とうとう逝(い)かれたのですね。・・・長い間本当によく看(み)られましたね。・・・ご自宅で最後を迎えたいとご本人が希望されても色々な事情で叶えることができないことが多いのですが、ご家族のお力もあってこうしてご自宅で最後を迎えることができましたね。お疲れ様でした。・・・これから色々とお取り込みになられるでしょうが、お疲れがたまっていますので、無理をなさらないで下さい。」自宅で亡くなった方の家族へのねぎらいの言葉を掛けあいさつを済ませるといったん医師としての仕事は終わります。

1999年度の益田市で亡くなった560人の内、家庭での不慮の死などを除くと約60人が在宅での死亡です。
悪性新生物と呼ばれるガンの場合では194人が亡くなられていますがその内の9人が在宅での死亡です。
脳梗塞などの脳血管障害では亡くなられた70人の内3人が在宅での死亡で、老衰死の22人中15人が在宅死でした。

本人が人生の最後を自宅で迎えたいという希望をもっておられても、入院加療を必要とする場合や、家庭の事情、さまざまな問題から在宅での生活が困難になることが少なくありません。
元気なときから「私には無駄な治療などしないで自然に逝かせてください。」とお願いされる場合もあります。しかし、いざその時になると心変わりがすることもあるらしく、「もう少し楽になりませんか?」と本人から依頼があったり、家族から「実はいくら在宅がいいといわれてもこんな状態になるとは思わなかった。
何とかしてください。」と入院を懇願されたり人生の終末期は思い通りにいかない場合が多いようです。

在宅で生活しておられる高齢者の衰弱が進んでくると、本人や家族の方に「今後急変した時などはどうされますか?」と医師の私や看護婦、ケアマネージャーなどからも質問させたりしながら終末期の迎え方の希望を聞き出しています。
家族にとっては「病院や施設に入れないことは老人を見放していると他人から思われないか?」とか、「本当に最後のときを自分たちだけで迎えることが自宅でできるのか?」という不安もあるようです。
ご家庭を訪問し診察を済ませたあと、別室での会話では在宅で死を迎えさせる家族に心の準備をお願いするお話の時間になる場合もあります。
家族や親戚縁者が集まり相談の結果やはり施設へという結論が出ることもあります。

臨終が近づき毎日のようにご自宅を訪問していても「果たしてこのまま在宅でよいのだろうか?」と悩まれる姿を見ることがまれではありません。
在宅死が11%程度の益田市の状況が多いとも少ないとも私にはわかりませんし、「在宅死が理想で、施設での死は避けるべき」などという一方的な論調には賛同しかねます。
家庭で最後を迎えられた家族の方にも、病院で最後を看取られた家族の方にもそれぞれに「本人にとっていい最後であった」という気持ちになれればよいのではないでしょうか?

何年か前に「医者がついていようと家族がついていようとダメなときはダメなのだからバタバタしなさんな」と亡くなる2週間前の高齢者に叱られたことを思い出します。

第241段:熊とあう日は?

8月上旬に札幌市で円山動物科学館館長の長尾章郎さんの話を聞く機会がありました。
その中で北海道のヒグマが飲み残された缶ビールでアルコールの味を覚え、人家に入り冷蔵庫をあけてビールを飲むという話や、森の木がネズミにかじられる被害が多いので原因を探したら、森のねずみの天敵であるキタキツネが人里で残飯や果物を食べに出てきて森の中で食べ物のネズミを探さなくなつたためだろうという結論になったなどと話されました。

餌付けをするつもりではなく、ちょっとかわいいからと自分が食べている食品や果物、ジュース、アルコール類を動物に与えることが、森の生態系を壊していることになっていたと改めて知らされました。

益田に帰って診療を再開してみると、「先生疲れましたよ、この暑い強い日差しの中で猪の柵を作るのは女の私だけですから、こんなにくたびれるのだったら猪に米を食わせて、自分の食べる分は買いたいくらいです。」と話して受診された患者さんがありました。
考えてみると昔は最近のように猪の柵を作ったり網をかけたりということがなかったような気がします。
山中の自然の食べ物は人間の作る作物や貯蔵している食品と比較すれば味では絶対負けるでしょう。
動物がこれらの食品(餌)の味を占めれば手に入るのが簡単な方を選ぶのが当然でしょう。
智恵のある人間だってファーストフードを利用し始めれば後戻りするのは簡単でないように、動物にだけそれを求めるのは無理な相談です。

山の中に餌がなくなったのか?
動物の数が増えて里に出始めたのか?
人間の作った食べ物に惹かれて出て来るのか?

私にはわかりませんが、北海道の話などを参考にすると、様々な変化の発端はどうも人間に原因があるようす。
愛情やお近づきの表現方法の一つに食べ物を与えるというのは動物でも人間も見られます。
また違う種類の動物同士でも食べ物を介在させてお互いが共存するのはペットと人間の関係でも見られる状況です。食べ物のもつ力は大きく、言葉を必要としないので餌を与えてくれる相手は自分の味方や仲間と判断するのではないでしょうか?

美味しい餌がかなり危険な目に遭わないと手に入らないのなら彼らも自重するのでしょうが、日本の人間社会は自分たちの食料を必死で守る生活形態ではありません。
自分たちの生態系や環境のことを考えながら行動できるのは人間の中でも一部の人のようです。
野生の動物を見てかわいいと感じると餌をやりたくなる心理はよく理解できますが、もう一度考え直さなければいけないのでしょう。

診察室での診療が一息つくと訪問診療に出かけます蛇やカエルだけでなく、時には猿や猪にも出会います。
「熊に注意」の看板にも最近は見かけますので。
熊の顔をしたお医者さんと本物の熊が出会ってお互いが驚く日が訪れるのもそう遠くないかもしれません。

第240段:禁煙した後のすばらしい人生

10月14日益田市役所では市地域保健推進室が第1回目の禁煙教室を開催しました。
私もこの会に参加して禁煙運動に立ち上がろうと決意したところです。今年は厚生省から「健康日本21」という今後10年間の日本の健康に関する数値目標が発表され、各種の生活習慣病の現状から日本人が今後どのような生活習慣の改善をすることで、健康を維持・増進させることが可能かという具体的な目標が出されました。

この目標の決定過程で大変な論議を呼んだのが「タバコの問題」でした。

なんと純粋に健康や保健の問題なのにタバコが税収に関係があるとして税金に関係する省庁や国会議員から横槍が入りました。
もちろんタバコの製造会社、生産者団体、販売団体などからも猛烈な抗議があったようです。
厚生省の諮問委員会では今後10年間で「成人の喫煙率と一人当たりのたばこ消費量を2010年までに半減する」目標を立てていたのですが、結果的にはご承知のように「半減」という数値目標は消えてしまいました。
ところがこの騒動があったことが、かえってタバコ問題に注目を集めてしまいました。

益田市での禁煙教室の講師をつとめられた滋賀医科大学福祉保健医学講座の喜多義邦先生は、多くの資料や研究結果を示しながら「タバコの持つ毒性や習慣性」、「なぜ止められないのか」、などの理由を丁寧に説明されました。そして多くの生活習慣病の増悪因子がタバコであり、タバコを止めることでどのくらい死亡の危険度が低下するのかについても言及されました。
講演の後の先生との会話の中で今後の健康問題では喫煙習慣からの離脱は避けて通れないものになっているという点で意見が一致しました。

9月14日に発表された国際肺癌学会の「『禁煙』東京宣言」では「肺癌の9割は喫煙及び受動喫煙によるもの」とはっきり宣言されています。
禁煙することで脳卒中の発生を減らし、心臓病などの発生を減らすことは、すでに何度も明らかになっています。

タバコの売上による税の増収より、禁煙で健康をえて医療費を減らしたり、寝タバコが原因でおこる火事などでの損失を計算すると、禁煙を徹底したほうが国家の財政にも有益であるという明らかな統計結果が出ています。
諸外国からも日本のタバコ問題に関する取り組みは遅れていて非常に問題があると再三指摘されています。
男性の喫煙率は先進国中で不名誉な第1位、若年者と若年女性の喫煙率の急増は大変な問題です。

喫煙者の6割以上がタバコを止めたいとか、減らしたいと考えているという報告もあります。現在は様々な禁煙法が開発されていますから是非実行をしてみてください。
4~5回は失敗するのが普通です。
2~3度失敗したからやっぱりだめとあきらめるのは早すぎます。
私自身は本気で5回禁煙に挑戦しその5回目がやっと12年ほど続いているわけですから、まだまだ1人前とはいえません。
今でもタバコの香りに心が揺れることがあるくらい魅力的な「習慣性薬物」なのです。

禁煙運動に熱心な医師の一人の大和高田市立病院の高橋裕子先生は「禁煙すること
が目的なのではなく、禁煙した後の素晴らしい人生を楽しむことが目的なのです」と
話されています。
タバコを吸いながら読んでいるあなたはどう考えますか?

第239段:楽しく生活健康で長寿

昨年12月に東京都立大学、大学院・都市科学研究科の星旦二先生が益田市で講演され、地域社会の住民の長寿や健康についてお話されました。
日本の平均余命は世界一ということはご承知のことでしょう。
その世界一の国の中で都道府県別に計算すると島根の女性は第3位とトップクラス、男性は22位ですのでちょうど中間ほどです。

島根の男性と女性の順位に大きな差がついているのは、島根の医師が特別に女性を丁寧に治療しているのではありません。
原因が医療の供給体制ではないということです。

大阪(男女とも45位)東京(男性20位、女性33位)など医療設備の充実している大都会が上位に顔を出していないことがその証拠です。
世界的にみても先端医療の充実したアメリカが一番ではなく、日本と同様に医療費の少ないことで有名なイギリスと、医療費が一番多いアメリカが似たような平均余命であったりして、医療設備やお金、専門職の多寡が健康や長寿とは密接な関係がないことがわかっています。
島根県内の市町村単位でここは長寿だあそこは短命だと比べてみても、100点満点の試験で98点と97点でどっちが優秀かを論議しているような話ですから余り意味がありません。

星先生の健康や長寿のキーワードはきれいな水ときれいな空気でした。
そして、直接的な健康問題ではやはりタバコの害が非常に大きく、今後の日本の大きな課題でありタバコの対策を有効に実施しなければやがて世界一の長寿の座から滑り落ちると指摘されました。

その次の注目点は心です。
楽しく、生き生きした生活、スピリチュアル・ヘルスの話です。数年前からこのスピリチュアル・ヘルスという概念が医療関係者の中に導入されてきました。
積極的に生きることに関わりをもち、充実した生活をしようということです。
星先生たちの研究では仕事(ちゃんと収入がある)や生きがいのある人たちは身体活動も活発なようです。

単に生きているだけではなく、現状に満足するだけでもなく、未来に向かってゆくような気持ちや身体活動がより健康で長寿をもたらすようです。

1月のある日、寝たきりの女性を訪問診療しました「今年のお誕生日で82歳ですね。
私も今年で50歳になりますよ」と声を掛けました。
「先生もあと5年で定年の年だねえ・・・私もお迎えが・・・」、
「両方とも現在その状況ではないですね。」と答えてお宅を後にしました。
暦の年齢や肉体年齢よりもスピリチュアル・ヘルスです。定年の年齢などは単なる通過点、楽しく生き生きした生活をしていれば長寿も健康もついてきます。
それにしても最近は元気のない人が多いですね。

第238段:激務の「コンビニ医療」

「1年365日は52.14週、今年から1年で53週間働くことになっちゃった」と県外の友人に話したら「何だ、その話は」と聞いてきました。

益田市の小児在宅当番医制と呼ばれる小児を対象とした休日の診療体制が始まって5ヶ月ほどが経過しました。
益田市内の小児科診療をしている医療機関のうち制度に参加表明をした8医療機関が順番に日曜日や休日の午後5時から午後9時まで診療を行っています。

大人が対象の在宅当番医制も益田市にはあり、16の医療機関が同様に診療を行っています。
小児科は年間8回から9回、内科は年間4回から5回当番が当たります。お隣の鹿足郡では午前9時から午後4時まで7つの医療機関で順番に診療を担当、年間約10回の休日診療を担当していて益田市よりはさらに大変です。

休日の診療を担当する医師には多分その代休はないはずです。
それぞれの医療機関で働いているスタッフにも同様の負担がかかっているのではないでしょうか。
つまり休日の診療をしている医師やスタッフの中には、前の週の6日間に加えて日曜日、さらに次の週の6日間と連続13日間の勤務となっている方が少なくないと考えるわけです。
地域の医療を休日も支えるために過酷な労働を強いられているといっても過言ではないでしょう。

実は益田市内のこの制度に参加している医師の中には数名が70歳以上です。
診療の前後には準備や後片付けの時間が必要で、結局4時間の診療でも5時間以上は拘束されてしまいます。
脱水症の小児などでは点滴をすればさらに時間が延長してしまいます。
週休2日、週40時間労働という標準的な労働者と比べると大変な激務といわざるをえません。

「結局、5時間の拘束が9・9回で40~45時間労働時間が増えるから、1週間分余計に働くというわけだよ」と説明しました。

昨年、行政サイドから休日の「小児科診療の体制の見直しを」と提案があったとき、会議では様々な意見が出て、行政サイドにさまざまな問題点や課題を提出しましたが、はっきりとした回答や計画は示されず、結果的には1月から3ヶ月間試行、4月以降は改めて実施ということが決まり、今まで以上に休日の診療体制を広報することだけが実施されました。

予算化された地域の事業で、自ら参加表明をしているわけですから弱音を吐くつもりはありませんが、最近は夜間や休日の軽症の応急的な救急診療は24時間営業のコンビニエンスストアを利用する感覚の患者さんが多いことから「コンビニ診療」とまで呼ばれるようになり、行き届いた宣伝で受診者数は増加の傾向にあるようです。

予想以上の人気に成功と判断される向きもあるようですが、担当している医師の感想はいかがでしょうか?

また、益田市内の医療機関では処方せんを発行して薬局で薬を受け取る医薬分業のシステムが多く、医療機関の診療にあわせて薬局にも同様な無理な休日の調剤をお願いしています。

この制度が開始される前の小児の休日の救急診療はそのほとんどが益田赤十字病院でしたから、大変な混雑でその解消に一役買ったことは事実のようですが。

第237段:広がる煙のない世界

「先生、空気のきれいなところでタバコを吸えるようにしていただき、ありがとうございました。」
今年の1月のある日、JA西いわみの屋外にある灰皿の近くで寒さに震えながら喫煙している職員から言葉を掛けられました。

昨年、12月29日の同JAの部長会議に特別に嘱託産業医として出席をさせてもらい、4月以来の検討事項であった建物内禁煙のお願いを私がしたからでした。

会議の席上「タバコを吸わない人間が禁煙を宣言するより、吸う人間が吸わないと決め実行しましょう。」と喫煙者の常務から発言があり「元日から本所、支所関連の施設内はすべて禁煙」という一声が発せられました。

わずか10分ほどの間の出来事でした。
部長会を退席した私は帰りの車の中でほっとした気持ちよりも、喫煙者からの反発に耐えてゆかねばならない職員の苦労を心配していました。

昨年5月の健康増進法の施行前から、同JAの担当者たちと快適な職場を形成するため、喫煙の問題を検討しました。
職員だけでなく、JAを訪れられる方々にも協力してもらわなければなりません。
必要性は理解できても実施の時期や方法に迷いがあったのも事実です。

しかし、12月に入り農協中央会からも各JAに対して健康増進法、特に禁煙についての推進依頼文書が届いたのを機会に推進の機運が盛り上がりました。

部長会議では
「JA西いわみの仕事でする台湾でも喫煙できない状況が広がっている。」、
「益田市内の公民館でも会議に灰皿を出さない方向。われわれの施設での禁煙を推進しても早すぎることはない」
との意見が出て実施となりました。

館内禁煙が始まると「寒い屋外で震えながらタバコを吸う姿はかわいそう」との声が耳に入ります。
しかし、閉め切った暖かい室内でタバコを吸わない人にまで有毒ガスを吸わせていた、これまでのほうがはるかに悲惨だったということを認識しなければなりません。

たばこ1本を吸うために数分間仕事を中断します。
就業中に10本を吸えば1時間近く仕事をしていないことになりますが、それでも建物の中での喫煙を認めない、というトップの決断を守り通さなければなりません。

「受動喫煙」といわれる他人のタバコの煙を吸わされることがないようにしようという趣旨の健康増進法が施行されて急速に喫煙場所が減っています。

喫煙習慣を持つ人たちからは「迫害だ」とか「暴力だ」という声が上がってきますが、ニコチンという毒物への依存から抜け出した元喫煙者は、私を含めて「やめてみると喫煙そのものが迷惑だ」と断言しています。

元日に同JAから戴いたすてきお年玉、次は4月の新学期祝いに学校内の禁煙化ですね。
次々と煙のない世界が広がります。

2003年2月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

文中のJAの担当者が台湾に行き来している理由は;このJAから台湾に米を輸出してい
るのでその交渉過程での行き来がありました。
「ヘルシー元氣米」というブランドで国内でも販売していますが、農薬や化学肥料を減らして食味をよくしたお米です。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn03122203.html

第236段:「あなたの力で減らせる死」

「警察から電話です。」と電話が取り次がれました。
死体検案の出動要請です。
待合室の患者さんに事情を説明し、しばらく診療所を留守にする旨を伝え、急病の方々の診察・処置などを済ませると現場に出かけます。

医師は生きている人間ばかりを相手にしているわけではありません。
死亡診断も医師の仕事ですから正当な理由もなく断るわけにはいきません。
私は警察医ではありませんが時折、異常死体が発見されると死体検案に立ち会います。
実は、病気などで死因がはっきりしている方については死亡診断書が発行されますが、そうでない場合には死体検案書という書類作成になり、他殺や事故の可能性を考えて死亡確認の作業の一部を警察の方々とともに行います。
医師が死んでいると宣言しなければ、たとえ白骨死体でも「死んでいる」と法的に断言できる権利は医師以外には持っていません。

石見地方では年間に300~400件の死体検案があるようですから、平均すれば1日に1件以上の異常な死者が見つかっているということです。
主には事故死や自殺、溺(でき)水や窒息などが含まれます。
休日・夜間・悪天候を問わず出動されている地域の関係者や警察官の方々の熱心な仕事にはいつも頭が下がる思いです。

私はすでにこの地で死亡診断書や死体検案書を200通以上発行していますが、そのうちの5通に1通以上が死体検案書です。
死亡診断書や死体検案書のつづりをあらためて見直してみると、一人一人のさまざまな人生の最後を想像してしまいます。
川に転落して数日後に発見されたり、山の中でてんかん発作を起こして水溜りの水を吸い込んで溺死されたり、子どもの川遊びでの溺死や風呂での溺死もありました。
旅行中の死や作業中の労災事故、ほんのわずかな時間の間に事故は起きてしまいます。自殺の場合は「なぜ?」「どうして?」がいつまでも頭を離れません。

生前の病院などへの通院状況、近所の方々からの情報で亡くなられた方の最後の時間が明らかにされて行きます。
自殺の場合、遺書があるのは約3割で残りの7割は残された関係者の推測ですから死因の究明は慎重にならざるを得ません。
(日本全体では不慮の死といわれる事故死が年間4万人弱、自殺が年間3万人ほどです。)

不慮の死といわれる事故死は減少させることが可能な死です。
自殺も諸外国に比べれば日本人の自殺率は高い方だということを認識して下さい。
(自殺率は人口10万人に対して日本23.3、アメリカ10.7、フランス17.5、ドイツ13.6、イギリス7.5です。)

心の悩みを自分ひとりで抱えず医師やカウンセラーを訪れましょう。
日常生活の中の手順や安全確認を見直してみませんか?
あなたの力で減少させることが可能な死もあります。

2003年12月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第235段:「お盆疲れとともに夏行く」

今年もお盆の帰省シーズンが終わりました。
帰省の時期には都会の人口が減り、田舎は人口が増加します。
病気の発生には盆も正月も関係ありませんので、人口が増えれば患者さんも自然に増えてしまいます。

私の診療所も当然のことながら初めての患者さんが比較的集中して受診されます。
喘息発作など体調が急変して受診されると、今までの受診状況や発作の対応法などを聞
きながら、今までの治療や診療方針を極端に変えないように対処しますので、診察する側も通常の診療よりもはるかに疲れます。

加えて、解熱剤の使用法やかぜをひいたときの入浴の是非などは医師の間でも見解が統一されていませんから、かかりつけの医師の指導内容と異なることもあり、考え方の説明で結果的にはかなりの時間を必要としてしまいます。
(ちなみに私は、基本的に子どもの38度台の熱には解熱剤は使用しない派、かぜなどで熱があっても入浴は積極的に勧める派で、どちらも多数派だと信じていますが・・・)

「お盆でお休みとは思いますが・・・」と電話で話し始められると、私は「とりあえずの診療だけでも良ければ・・・」と答えて診察室で患者さんをお待ちしています。
「電話も留守電にして切ってしまえば?」などとアドバイスを時折戴きますが、在宅で寝たきりの患者さんの家族からの連絡もありますので、一応休みにはしていても可能な限り応対をしていました。

今年も結果的に十人余りが夜昼を問わずお盆休みの間に受診されました。
それに加えて死体検案の出動も1件ありました。

帰省シーズンが大変なのは医療機関だけではなく帰省を受け入れる地域の方々も同じでしょう。
お盆明けになると必ず
「疲れました。8月初めから孫たちが来ていて10日過ぎからは親を含めて帰省して来たので、多いときには全部で20人以上でしたよ」とか、
「みんなと会えて嬉しいけれども、夜遅くまで話込んで疲れる。外食にに出かけると、年金生活者でも親だからローン抱えた話を聞いてるとつい支払いもこっち持ち」、
「あちこち出歩き、食費やあれやこれやで財布もスッカラカン。その上、後始末はみんな私たちだもの」などと話しながら受診される方もおられます。
こんな話を
聞き始めると医師の私は「ああ、今年の夏のピークも終わったな」と感じてしまいます。

涼しかった今年の夏は帰省時の接待疲れも幾分軽かったのではないでしょうか?
後4ヶ月ほどで年末年始の帰省のシーズンです。
夏の家から冬の家に模様替えしてまた帰省客を迎えましょう。
新型ウイルス肺炎も流行りそうな今度の冬にはせめてインフルエンザワクチンだけは済ませておきましょう。病気のお土産のやり取りは誰だって嫌ですからね。

2003年8月の山陰中央新報の「いわみ談話室」から

第234段:快適な環境はどのあたり

私の診療所のある益田市の地区では、やっと下水道の本管に各家庭からの排水をつな
ぐ工事が始まりました。
工事を見ながら数年前の夏休みのことを思い出しました。
都会から祖父母のいる益田市内に遊びに来ていた子供が、腹痛を訴えて私の診療所を受
診したのです。
尿検査を済ませて診察室に入ってきた子供の顔を見ると全く元気です。
話を聞くと、数日前にも同じようなことがあって別の医療機関を受診したようです。
原因は祖父母の家のくみ取りトイレで排便ができず、我慢したままの生活で腹痛を起こし、受診して水洗トイレでやっと排便ができたので腹痛が消失したというのです。

田舎のトイレは暗いので夜に行くのが怖いとか、和式のトイレを使うことができない子どもがいるとか、田舎の人の生活は都会人からは忌み嫌われているようです。
あるとき東京に住む高校時代の同級生から「田舎の祖父母の家に行くのを子供が嫌っている」と聞きました。
「クーラーやシャワーはないし、虫は家に入るし、くみ取りトイレ。あんな生活イヤだ!」という子どもに、キャンプに行くと思って我慢して、と説得しているというのです。

夏休みに都会を離れて田舎で自然に触れさせて成長させたい親の心と子供の心は大きく懸け離れているのです。
下水の普及でこんな話が減ってゆき、懐かしい昔話になるのかなあと考えておりました。

考えているうちに親の気持ちと子供の気持ちのかけ離れていることにいくつか思い当たるところが出てきました。
夏休みに「小学校のプールにでも入りに行ってきたら?」と声をかけたら「プールに入っているときには涼しくて気持ちがいいけど、行きと帰りが暑くて仕方がないから家のエアコンの中がいい」と言葉を返されました。
言われてみればその通り。
クーラーやエアコンのない時分はプールや川や海ぐらいしか涼しい所はなかったから熱心に通いました。
しかし現在の子どもの考えは私の子どもの時代とは違います。

同じように冬場の遊びも変わりました。
コタツや火鉢だけの暖房の時代は家の外も中も大して変わらない温度の生活でしたから、冬でも外で体を動かしながら遊んでいましたが、現在は「何でわざわざ寒いところに出ないといけないの?」と問いかけられると返答に困るという大人が多いのではないでしょうか?

その一方で、自然がいいという信じ込みで熱帯夜の夜もエアコンも使用しないで脱水症寸前の赤ちゃんを作り出しているアパート住まいの若い父母や、薬に頼らないようにと医師も驚くほどの重症にならないと受診されない方もおられます。

都会と田舎の違いではなく、個人個人の生活様式に関する考え方は大きく異なります。
人工的な生活空間と自然環境を守った生活空間が融合した上での快適な生活を享受できるようにしていきたいのですが、どのあたりにあなたの理想があるのでしょうか?

2003年6月の山陰中央新報の『いわみ談話室」から

第233段:大切にしたいご本人の人生観

「先生、もう私を苦しませんで下さい。私も家族も親戚も誰も文句は言わんから、私を火葬場に行かせる書類にはんこをついて下さい。」と90歳を超えた女性からの注文です。
「いいえ、人間なんていつ気が変わるかわからないので、そんなことはできません。」と答えると、私のシャツを掴んで、いつになく強い力で引っ張りながら
「今日は日曜日だから先生を待つ患者さんはおらんから、はんこを押すと約束するまでこの手を緩めやせんけえねえ」と答えられます。
揚句に「先代の先生は融通のきく立派なお方じゃったが、若先生は堅物で話にならん・・・、誰も文句はいわないから、頼むから私を火葬場に送ってやんさい」

数日前まではいつもの穏やかな表情での受け答えでしたが、急に体のだるさや苦しさを感じはじめられたのか、突然の変わりようでした。
30分近く私のシャツを握ったままの押し問答が続きましたが、疲れてきたのか手の力が抜けてしまいました。
「明日もまた顔を診に来ますよ。」と言い残し帰宅しようとしましたが、彼女の顔は
私と反対側の壁の方を向いていました。

翌日、午前中の診療を済ませて訪問診療に伺うと、彼女は布団をかぶったままです。「昨日は先生にひどいことを言ったので今日は合わせる顔がない・・・、いたしいから何とかならんじゃろうか?」とか細い声で話されます。
「昨日のことは昨日のこと、今日は今日でちゃんとやりましょう。」と私が答えて診療が始まりました。

訪問診療と呼ばれる定期的な高齢者の在宅の診療は、治療行為よりも話が中心になります。
患者さんが話せるのなら患者さんとお話をし、さらに家族の方々とのお話にも時間がかかります。
会話が成立しない痴呆の患者さんではご家族とのお話が中心にならざるをえません。
顔色や肌の状態、目つきや声のはりなどで状態を判断した後は、しばらくお話し相手をするのが仕事です。
私が疲れた顔をして訪問すると「今日は先生具合が悪くないか?」と反対にたずねられたりして、一見すると医療をするとか命を助けるという行為とは無縁のような時間です。

在宅の医療でも医師がかかわっていれば多くの医療行為を予想される方も多いのではないでしょうか?

闘病生活というような状態ではなく、静かに消えゆくような人生の終末期には医療行為は不要となることが多いのです。
多くの会話の中でご本人や家族から人生の終末期の生活観や人生観(死生観を含む)を聞かされます。
私自身が自分の生活観や人生観を患者さんや利用者に押し付けている姿に気付くこともしばしばです。
そしてお話を聞かせていただきながら私が勉強している状態です。

火葬場に行かせてくれと懇願された女性は私のシャツを掴んだ数日後に「おじいさ
んの所に行きますよ」と話され、その2・3日後に私がくだんの書類にはんこを押す
ことになりました。
私のシャツを掴んだあの日の力は今も覚えていますよ。

2003年4月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第232段:転ばぬ先の杖

ここ数週間は訪問診療の行き帰りに山の杉の枝を眺めています。
春先のスギ花粉症の偵察です。
ここ数年、スギ花粉症は多くの方々に認知された病気の一つとなりました。
私自身もスギ花粉とヒノキの花粉に過敏性があり春先は涙と鼻汁で辛い季節です。

杉は夏場の気温が高いと翌年の春の花粉が多くなる傾向がありますが、春先に雨が多ければ花粉が多くても症状は軽くなりますし、晴天で風向きが悪ければ花粉は少なくても患者さんは困られます。
最近では眠気が少なく副作用のほとんどない薬が医師からの処方で多く使われるようになりなしたので患者さんも随分楽になられたようです。

さて今年の花粉の状況は?と山あいを車で走ってみると、例年に比べて極端に多いという印象はありません。
勘や経験で医学を論じることは避けなければなりませんが、今年の益田地域の花粉症は例年と比較して極端に多くなりそうではありません。

多分、花粉の飛散開始も平年と1週間以上ずれることはなく2月の中旬から涙や鼻汁が出始める方が多いでしょう。
遅れて症状の出る方にはヒノキの花粉症の可能性が高くなります。

花粉症の治療には症状が起こってからの対症療法もありますが、流行期以前からの治療も存在します。
いわゆる「転ばぬ泣きの杖」あるいは「備えあれば憂いなし」治療です。
花粉症に係らずインフルエンザの予防接種、あるいは生活習慣病などの生活習慣の改善などもこの手の治療の一環です。

残念なことに多くの方が知識はあっても症状が起こるまでは自分とは無縁と考えられているようです。
そして禍に出会って初めて「事前の対策を講じておけば・・・」と悔やまれます。
特に花粉症やインフルエンザは毎年のように繰り返してきますので、そろそろ事前対策が行き渡ってもよさそうな頃だと考えていますが、現実には程遠い状況です。

花粉症では辛い時期は1~2ヶ月ですが、辛さに耐えかねた患者さんは根本的な治療を求められます。
そこで様々な無症状のときの治療を提案してみますが、9割以上の患者さんが無症状のときの治療を継続していただけません。
ここが「転ばぬ先の杖」作戦のつまずきなのです。

「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」の言葉どおり花粉の飛散時期が過ぎると通院も途切れていつのまにか治療が中断してしまいます。
春先になって頭をかきかき「まだ間に合いますか?」と顔を出されます。
一方「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」患者さんもおられますから、医師の側の対応もそれぞれの患者さんに合わせるのに大変です。

インフルエンザの流行期は桜が咲く頃まで続きます。
一冬に二度インフルエンザに罹患する場合もありますのでまだまだ注意が必要です。

インフルエンザの予防接種は11月が最適ですし、花粉症の事前内服は1月下旬から2月
上旬から開始です。

2003年2月の山陰中央新報「いわみ談話室」より

第231段:ウォーキングの楽しさ

散歩をしながら考え事をすると、意外と良い考えがまとまります。
思索に散歩が有効なことは、昔から知られていて実行されていたようです。
有名な哲学者のカントも散歩をしながら考えをまとめていたといわれます。
京都にある「疎水べり」も同じように哲学者・西田幾太郎などが思索しながら歩いたという由来で、通称「哲学の道」とよばれています。
私自身も京都を訪れたとき、時間があればこの道に足を進め琵琶湖の疎水の流れる音を聞きながら「人は人吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」などと思い出しながら歩いたことが何度かあります。

今日のこの話も実際に散歩をしながら思い出したことをまとめてみました。
散歩は最近ではウォーキングなどとも呼ばれて健康のための運動療法として効用が認められていますが、肉体的な健康だけでなく様々な効果が知られています。
ところが、健康面の効用が余りに強く印象付けられたために、とにかく歩くことが良いことと受け取られ、歩き過ぎでの障害も目立つようになりました。
硬いアスファルトやコンクリートの上を長時間歩いたり、足に刺激があるほうが良いと、クッション性の少ない底の薄い靴で歩いたりすることで骨や関節に負担がかかりすぎてしまうのです。

速く歩くこと、時間や距離を多くすることや負担の多い坂道を歩くことが、健康につながると勘違いされている場合が多いようです。
雨が降っても嵐の日でも毎日ウォーキングをしないと落ち着かないなどといわれる方はすでに立派な「運動中毒と呼ばれる病気」だという自覚をもたれたほうが良いでしょう。

健康ウォークとして益田市には様々な散歩コースが各地区ごとにあり冊子となり紹介
されています。
自治会単位でまとまった「健康を守る会」などと呼ばれる組織がまとめ上げたものです。
車が少なく会話を楽しみながら歩ける道、歴史に思いをはせながら歩く道、景色を楽しみながら歩けるコースなどもあり、それぞれのコースを歩き比べてみるのもの面白いでしょう。

ウォーキングの楽しさは歩くだけではありません。
途中では一休みして真上の空を見て下さい。
いつも見ている空とは別の空が見えると思います。
歩いていると足元を見るのに一所懸命で意外と周囲や空などを見ていないものです。
散歩を歩くだけで済ますのはもったいないので、場所にも寄りますが時には草の上などで大の字に寝転んで地面や草木の匂いや温度、硬さなども感じてください。
目をつぶるとそれまで聞こえてこなかった音も聞こえてきますね。
梅雨空の晴れ間に気軽に歩いてみましょう。

散歩:行く先・道順などを特に詳しく決めることなく気分転換・健康維持や軽い気持
ちの探索などに出て歩き回ること(新明解国語辞典第4版)

2002年7月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第230段:花からふるさとを

国際化や国際交流はさまざまな言葉で語られ多様な実践が行われていますが、私の所属するロータリークラブの数多い活動の中にGSEと呼ばれるプログラムがあります。

数名の社会人を2国間で交換し、職業や教育、文化を豊かにするような勉強をさせるプログラムで、約1カ月間、相手国の特定地域について研修して回ります。

1965年に始まり、毎年500組以上の交流があり、これまでに32,000人以上が参加。
昨年はイギリスから5名のチームが島根、鳥取、岡山を訪れ、私たちの地区からもイギリスの西南部にチームを派遣しました。

益田地区の研修が4月上旬でしたので、休養日に満開の三隅町の大平桜の下で花見をました。
スケジュールが立て込んでいた彼らにはいい休養で「日本の花を国民が楽しむ姿がすばらしい」との感想もいただきました。

ちょうどその日、手に入れた黄色い水仙をプレゼントしたところ、メンバーの1人が「私の故郷の花は黄色の水仙です。日本の国花を楽しんだ上に、自分の地域のシンボルである黄色の水仙をプレゼントしていただき非常にうれし思います」と答えてくれました。

彼らと別れた後、自分が県の花の「牡丹」や益田市の花の「梅」をプレゼントされたり、飾ってあったときにあのような会話ができるのだろうか、と考えてしまいました。
桜や梅は見に出かけますが、国花や市の花を見たり扱ったりすることがないため、そのような意識はありませんでした。

外国に出かけて現地の人と話をすると「自分がいかに日本のことを知らないかを知らされる」という感想をしばしば耳にします。
外国だけでなく、多くの方が、進学や就職で県外などに出てみるとふるさとのことを意外と知らないことに気付いたとも話しておられます。

高等学校を卒業後、大半の子どもたちがふるさとを後にする石見地方では、18歳までにさまざまなことを教えておいてやりたいものです。

推定の樹齢が660年を超す桜の大木である大平桜や、天然記念物の唐音の蛇岩などの豊かな自然に加え、石見銀山などの遺跡についても、自分の言葉で語れる経験をさせたり、自らが調べてみるプログラムも必要ではないでしょうか。

数年前に益田市教育委員会が発行した小学生向けのガイドブックは良くできており、それを活用し地域を知った子どもも少なくありません。
中学、高校、成人への継続的な事業として展開してこそ、わが町、我が故郷としての知識になるはずです。

さて、今年の花見は日本の国花「山桜」を鑑賞しませんか?
私は色鮮やかで花びらが大きめな散り際の良いソメイヨシノ(染井吉野)よりも、白く可憐な山桜が好きなのですが…。

2001年3月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第229段:新しいおもてなし

2000年12月に益田市でアメリカからのジャズ演奏家を招いてのコンサートが開催さ
れました。
演奏会を主催した「愚LOOP-60s」のメンバーとして経験した楽屋話を紹介しましょう。

ジャズヴォーカルのダイアン・リーヴスさんやピアニスト、ドラマーなどの5人に加えミキサーもアメリカから同行してきた彼らがまず要求したのはホテルの禁煙ルームでした。
部屋にタバコの匂いがするのを喫煙しない彼らは嫌っていたのでした。

食事の場所も禁煙レストランを要求され予定されていたお店や我々は大慌てでした。
結局、予約しておいた店では禁煙席がなく当日は店内を禁煙にするという妥協案で納得してもらいました。

更に、食事は菜食主義だと聞いて再びわれわれを驚かせました。
実際にはコレステロールが高くなりやすい牛肉や豚肉を食べないという言い分で、宗教上の問題であったら妥協はありえないので事実関係が判明し安堵しました。

コンサートが終了して我々と食事になったときミュージシャンから「アルコール類は飲まない、フレッシュオレンジジュースにしてくれ」と注文が来ました。
「コーラは飲まない?」と聞いてみても「飲まない!」と断られる始末で、昔々のジャズに酒とタバコはつきものという概念が崩れていったことを感じました。

思い出してみるとジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんも禁煙・禁酒の人でした。

日野さんと益田での講演の後でお話したときに彼は「お茶を飲みながらでも十分はしゃげます。お酒の力なんか借りる必要はありません。」ときっぱり、タバコも吸う必要性を認めないというようなことを話しておられました。
「もちろん昔は酒もタバコもやっていて、ウイスキーの宣伝にも出ていたけどその後止めました。」と楽しそうに話しておられました。

改めて今までのおもてなしを考えてみると、お客さんがお見えになるとき相手の食事の嗜好などを考えることはあっても、健康的な食事のことを考えた準備などしたことがないような気がします。

35歳以上の日本人では10人に1人が糖尿病を否定できない状態といわれ、高血圧も成人では3人に1人は治療が必要といわれる現状では、カロリーの高いものや味の濃いものを出すことは今では失礼に当たるかもしれません。
当たり前と思って出している灰皿はタバコのきらいな人には配慮のないものに映りますし、濃厚な味の料理は確かにおいしいですが、健康を考えるとちょっと考え物です。

アルコールは日本人特有の「お近づきの1杯」や、「ご返杯の習慣」がついつい適量を超えさせてしまいます。

お客様を喜ばせる前に、お客様を不快にさせないことがサービスの一歩と考えます。
ダイアン・リーブスさんの問題で「益田の町の宿泊施設や飲食店の禁煙度は?」と改めて話し合ってみましたが、明快な答えは出てきませんでした。
灰皿が出るのが当たり前の町から快適なおもてなしのできる町になって欲しいと考えます。

2001年1月の山陰中央新報「いわみ談話室」から

第228段:日本の人口

総務省から発表された住民基本台帳にに基づく2004年3月31日の日本国籍を持つ人の人口(国勢調査では外国人居住者も調査に含むので数字が一致しません、さらに厚生労働省は出生、死亡に加えて結婚、離婚なども調査する人口動態統計というのがあります。)

人口の増加率は0.11%で出生者数は112万9239人(第1次ベビーブームのころには年間250万人以上が生まれていました。)65歳以上の高齢者の割合は19.24%で過去最高20%の数字が数年のうちに達成しそうです。

 人口の都市への集中化は著しく東京、名古屋、関西の3大都市圏で人口全体の49.58%を占めていて、もはや都会に住むのが普通で田舎に住むのは普通じゃないということになりそうですね。
人口の少ない県は鳥取の61万5千人余りと島根の75万5千人余り合計しても136万7千人余りで、沖縄県の136万2千人程度、人口の少ないほうの5県、鳥取、島根、高知、徳島、福井の人口の合計は382万4千人余りと、静岡県の377万3千人程度ですから、市町村合併が終われば県単位の合併などがあっても仕方がないですね。

 人口問題を話していて意外と認識しておられないのが先進各国の人口

 ドイツ・・・・・・・・8200万人
 フランス・・・・・・・5970万人
 イギリス・・・・・・・5970万人
 イタリア・・・・・・・5740万人
 スペイン・・・・・・・・399万人
 スウェーデン・・・・・・880万人
 日本・・・・・・・1億3000万人
 アメリカ・・・・・2億9000万人
 カナダ・・・・・・・・3130万人
 オーストラリア・・・・1950万人
 ロシア・・・・・・1億4380万人
 ウクライナ・・・・・・4870万人
 中国・・・・・・12億9000万人

各国の社会保障費や医療費、軍事費、国民所得なども比べてみると意外な数字が見えてくるのです。
日本の人口益々都市化に拍車がかかり田舎は忘れ去られるのでしょうか?

第227段:少子化のお話

日本の合計特殊出生率は1.29まで低下して様々なところでお話が出ています。
ところで外国はどうなのでしょうか?
2004年8月5日の毎日新聞の記事から考えてみました。

 韓国・・・・・・・・・1.17
 台湾・・・・・・・・・1.24
 シンガポール・・・・・1.25
 米国・・・・・・・・・2.13
 イタリア・・・・・・・1.26
 スウェーデン・・・・・1.65
 日本・・・・・・・・・1.29

報道から受ける印象と他国の数字を見てからの印象が違いませんか?

韓国の事情:人口は4,740万人、国土は9万9千平方キロ(日本の3分の1弱)、70年には4.54だった合計特殊出生率が、80年に2.83、90年に1.59、02年に1.17まで下がりました。
日本よりも急激に少子高齢化が進んでいて大変な問題なのです。
介護の問題も今後起こると予想されていますが、日本のように家族介護から社会介護に切り替わるのには大変なパワーが必要と感じています。
日本に比べてはるかに家族の絆が強く、家族が高齢者の面倒を見るという思想が非常に根強く、日本のような介護保険制度が導入できるかどうか、興味を持ってみています。
ドイツや日本のシステムを参考にしながら、多分すばらしい制度を作って実施されるのではないかと考えています。
健康保険の制度なども日本の制度を参考にしながら優秀な制度を構築しています。

台湾の事情:人口は2,214万人。国土は3万6千平方キロ(九州よりやや小さい)農村部は大変な嫁不足でベトナム、インドネシアなど東南アジア出身の女性が多くなりました。
ここ10年の間に台湾男性と結婚するために海を渡ってきた女性は中国出身者を含めると30万人がいるようです。
台湾全体の新生児のうち、7人に1人がこれらの女性が産んだ子のようです。
早ければ2016年に出生数と死亡数が同じになり人口が減り始めるようです。

シンガポールの事情:人口420万人、国土420平方キロの都市国家(益田市が300平方キロ、東京23区が620平方キロです)70年代は2.0でしたが、90年に1.83、00年には1.60、03年に1.25と急落、第2子、第3子の誕生に奨励金を出しても効果なく、現在は国が運営するお見合いセンターまであるが効果は不明。

米国の事情:人口2億8850万人、国土962万9千平方キロ(日本の26倍)60年には出生率が3.64でしたが70年代半ばに1.77まで低下、その後増えています。
しかし、ヒスパニック系以外の白人では1.9、黒人は2.2、ヒスパニック系は2.7と人種間のばらつきが大きく、ヒスパニック系以外の白人の人口の割合が低下しているのが目立ちます。

 イタリアの事情:人口5740万人、国土30万1千平方キロ。
98年には1.15を記録した低出生率の国。
最近はやや増加傾向ですが、依然として低いことが目立ちます。
親と同居する割合が25歳から29歳で60%、30歳から34歳でも30%で、男性が母親帰属する意識が高いのが特徴のようです。

スウェーデン:人口880万人、国土45万平方キロ。
90年には1.50でしたがその後上昇傾向にあり、2010年以降には1.80ぐらいまで上昇するのではないかと考えれれています。
女性の社会進出率が高いのが特徴ですが、シングルマザーが多いのも特徴。家庭の形態も多様で古い価値観の人間には理解しがたいところがある国です。

日本の事情:人口1億2700万人、国土37万平方キロ。
1947年には4.54でしたが、55年に2.37、75年に1.91まで低下。
夫の平均初婚年齢は47年の26.1歳から2001年の29.0歳に、妻の平均初婚年齢は22.9歳が27.2歳にと変化しています。
男は2.9歳遅くなり女は4.3歳遅くなっているわけです。
 
合計特殊出生率:15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもので1人の女性が一生に産む子どもの平均数に相当します。
人口を維持するためには2.1程度の数字が必要といわれています。

第226段:病院の待ち時間

随分昔に、日本の病院では「3時間待ちの3分診療」と批判されたことがありましたね。
平成14年の厚生労働省の受療行動調査の結果がまとまりました。

この調査での外来患者の待ち時間は30分未満が45%、1時間未満を含めると66%でした。

3分未満の診察は18%ほどですが、62%は3分以上20分未満の診察を受けています。

もはや死語になりました。
「3時間待ちの3分診療」この言葉で医療を批判する方は最新データを参考にしてお話しをされていないということですのでご注意ください。
ただ現実には少数ですが3時間待ちとか3分診療が存在するのは事実です。
しかしそれは一般論にはなりえないといことです。

その他、患者さんの満足度をみると
肯定的な回答(満足、やや満足)が48.4%、
否定的な回答(不満、やや不満)をされた方が7.5%でした。
これで全てよしとは考えませんが、医療不信に満ち満ちた状態とはとてもいえないのではないでしょうか。

病院の待ち時間についてはせめて20分は待ってほしいと考えています。
なぜなら私の診療所で一番患者数の多い高血圧症の患者さんなどでは、来院直後に血圧を測定すると正確な値が測定できません。
せめて15分から20分程度静かにしていてほしいのです。
しかし待っている間に携帯電話が鳴るとまた屋外に出て話をされ興奮して椅子に戻られるとまだかまだかとイライラされています。
これじゃ何のための診察か分かりません。
興奮状態で測る血糖値も高いことが知られています。
自分の病気の内容を理解すれば、すぐの診察が意味のないことだということが分かるはずです。

しかし、一般論はさておき、私の診療所の待ち時間はヤッパリ長いですね。
申し訳ありません。

第225段:日本の医師数

2002年12月31日現在の日本の医師数が公表されました。
262,687人2年前に比べて6,895人増えました。
人口10万人に対して206.1人です。

300を超えている国はオーストリア、ベルギー、チェコ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ハンガリー、アイスランド、イタリア、ギリシャ、ポルトガル、スイス、など。
人口10万人に対して250以上の国にアメリカ、スウェーデン、ノルェーなどが並びます。
日本の医師の数が少ないことが分かりますね。

日本の医師の平均年齢は47.6歳でした。
私は平均年齢をもちろん超えています。
診療所の医師(いわゆる開業医のイメージの医師)の平均年齢は58歳です。ここには到達していません。

内科が主たる専門の医師は74,704人で最も多く、次いで外科の医師が23,868人、3番目が整形外科医18,572人でした。

都道府県別の人口10万人に対する医療施設で働く医指数(全国平均は195.8人)は最多が徳島で258.7人、以下、高知258.5人、京都257.8人、東京253.7人、鳥取249.2人、福岡247.6人少ないのは埼玉121.8人、茨城136.6人、千葉141.9人ですから最低と最高の差は倍以上の格差です。島根は230.6人でした。
東日本の県に200を切った県が多く、西日本はほとんどが200以上という西高東低型の分布です。

医師の数が適正かどうかは私には判断できませんが、分布に偏りがあるといわざるを得ませんね。相変わらずの医師は不足していると感じています。
診療所の医師の平均年齢は下がってはいるものの、25.4%は70歳以上です。
つまり開業医の4人に1人は70歳以上です。
70歳過ぎても第1線で働かなければならないというのはどう考えますか?
さまざまなご意見があるでしょうが、是非、あなたのご意見を聞きたいものですね。

第224段:世界の平均寿命の差

平成15年12月19日のジュネーブからの共同通信社の記事によれば世界の平均寿命の差は50歳になったことが報告されました。

『世界保健機関(WHO)が18日発表した2003年版の「世界保健報告」によると、平均寿命が世界で1番長いのは日本女性で85.3歳、もっとも短命なのはシエラレオネの女性(平均寿命35.7歳)だった。
WHOは先進国と発展途上国の「健康格差」が50歳に拡大している現状に懸念を表明した。

世界保健報告によると、人類の平均寿命は昨年65.2歳に達し、1950年代の平均寿命の46.5歳から20歳近く延びた。

しかし、平均寿命の延びには地域的ア格差があり、アフリカ南部のボツワナやレソト、スワジランドなどではエイズのために平均寿命が30年前よりも20歳以上も短くなっている。

報告は「日本では年間平均550ドル(約6万円)以上の医療サービスが受けられるのに、シエラレオネでは病気になっても年3ドル程度の投薬しか受けられない」ことを例に挙げ、医療や健康保険制度の違いが平均寿命の格差拡大の背景にあると指摘。
基礎的な保健衛生システムを強化すれば、貧困や紛争などの悪条件が克服されなくても、健康格差は縮小できるとしている。・・・・』

相変わらず、すごい格差ですね。
さまざまな指標を見比べていますが、現在のアメリカの平均寿命は、約20年前の日本の水準だということをご存知でしたか?
アメリカ型の医療が良いといっている、学識経験者や政治家が少なくありませんが、確かにアメリカの医療は進歩した面を持っていますが、国民全体に対する医療サービスという観点からみれば20年前の日本の水準です。
その水準を支えている国民1人あたりの医療費は日本の1.6倍から1.8倍程度です。
日本の今の医療サービスの水準にアメリカが到達するときには今のアメリカ式の制度ではおそらく10倍以上のお金が必要になるのではないでしょうか?

そんなアメリカ式のお金のかかる制度は誰も望まないと思いますが如何でしょう。

第223段:睡眠の話

何度も出てくる睡眠の話もまとめを作りましたのでご紹介します。

気持ちの良い目覚めのために
睡眠に関する誤解から解き放たれて気持ちよく生活しましょう。

1.睡眠時間は人それぞれ日中の眠気で困らなければ大丈夫と考えましょう。
8時間睡眠といわれていますが、医学的な根拠はありません。日本人の睡眠時間は6~7時間が35%程度で一番多く、8時間以上寝ている人は10%に満たないのが現状です。
5~6時間の人と7~8時間がそれぞれ25%程度です。

2.刺激物を避け、眠る前には自分のリラックス法を実行しましょう。
日本茶やコーヒー、紅茶,ココア、コーラなどのソフトドリンク、栄養・健康ドリンク剤、チョコレートなどにはカフェインが含まれています。
カフェインの覚醒作用は、口にしてから4~5時間も持続しますので注意が必要です。
軽い読書や心地よい好きな音楽、ぬるめの入浴、ストレッチなどが適していますが、刺激が強いと逆に目覚めることもありますので控えめにしましょう。


3.就寝時刻にはこだわりすぎず、眠くなったら床につきましょう。
少しでも長く寝ようと早く床についても、実際に早く寝付くことは難しいのです。
りきんで眠ろうとするのは逆に目覚めさせてしまいます。
眠くなってから床につけばいいと楽に考えましょう。


4.休みの日でも同じ時刻に起きましょう。
早く起きることが早く眠くなる方法です。
朝の太陽の光を受けて14~16時間経過すると眠気が自然に起こります。
休みの日だからといって朝寝坊すると生活のリズムが崩れます。
土曜日,日曜日、夏休みなどの長期の休暇でも、いつものように早起きをしましょう。


5.光の力を有効に使って、良い睡眠を得ましょう。
朝起きたら太陽の光をあびたほうが人間の体内時計がよく整います。
曇りの日でもその効果は雲を通しての刺激が来ていますのでなるべく早く屋外に出てみましょう。
(睡眠とは関係しませんが、1日に必要なビタミンDを作るために必要な紫外線の量は、顔と手が衣服から出た状態で戸外に15分ほど出ていれば満たされます。日光にあたりすぎて皮膚がんなどの紫外線の障害を受けないようにしましょう。)


6.規則正しい1日3食、運動習慣は効果的です。
朝食の1時間前から胃や腸などの動きが活発になり自然と目が醒めるようになります。
夜食の量が多すぎると朝の目覚めが悪くなります。
空腹で眠れないときには牛乳など消化が良く軽いものを少しだけにしましょう。


7.昼寝をするなら、15時前に20~30分夕方の昼寝は夜の睡眠に悪影響を与えます。
本来午後に眠くなるのは人間の体のリズムによる自然現象です。
短時間の睡眠でさっと切り上げましょう。
昼間の眠気の時には無理に寝る必要はありませんし、ある程度時間が経過すると自然に眠気は消失します。


8.眠りが浅いと感じたら、積極的に遅寝・早起きをしましょう。
寝床に入っている時間が長いと熟睡感が減ってきます。
睡眠時間を凝縮すると睡眠の質が高まり熟睡感が増してきます。
必要以上に睡眠時間にこだわることを止めましょう。

9.睡眠中の激しいいびき、呼吸の停止、足のピクツキ・むずむず感は要注意。
こんな症状があると昼間の異常な眠気が来ることもあります。
さまざまな病気が隠れている場合もありますので医師に相談しましょう。
睡眠時無呼吸症候群や睡眠時周期性四肢運動障害、むずむず脚症候群などの可能性があります。


10.充分眠っていても昼間の眠気で困るのなら、専門医に相談しましょう。
日中の眠気の多くは睡眠不足や睡眠の質が低下して、良い睡眠がとれていないことに原因があります。
しかし過眠症という病気が隠れていることもありますので注意が必要です。


11.睡眠薬がわりの寝酒は不眠のもとです。
「睡眠薬より寝酒の方が安全」という意見がありますが、医学的には間違った考え方です。
アルコールでは寝つきはよくなりますが、眠りが浅くなり、トイレが近くなるため、睡眠の質は低下して、目覚めたあともたっぷり眠った感じが得られません。
百薬の長といわれるお酒ですが、睡眠薬がわりとしては万能ではないことを覚えておいてください。


12.睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安全です。
「睡眠薬を使うとぼける」、「癖になってだんだん量を増やさないと効かなくなる」という知識が知られていますが、これらは全て誤りです。
現在、一般的に使われていることの多い睡眠薬(主にベンゾジアゼピン系)は,正しく使えばアルコールよりきわめて安全な薬として知られています。
医師や薬剤師の指示をきちんと守り、気持ちの良い目覚めを手に入れてください。


国際的な睡眠の調査では日本人の不眠の割合は平均よりも若干少ないのですが、医師を受診している人の割合が諸外国に比較して極端に少なく、そのために睡眠薬の使用も少ないことが知られています。
さらにお酒に頼って寝ようとする人が外国に比べて極端に多く、カフェインを減らすことなどの基本的な対策が軽視されていると報告されていました。
睡眠に対する正しい知識をもつことが必要でしょう。

この文書は国立精神・神経センター精神保健研究所/精神生理部長:内山真先生の本を参考にまとめました。

第222段:にきびとスキンケア

第66段でも「にきびはつぶして治そう」と書いていましたが、追加をして新しいまとめを作りましたので、紹介しましょう。
(ちょっと手抜きだなあ)

「にきび」は思春期男女の80%以上が程度の違いはあるが経験する皮膚疾患です。誤った情報に惑わされず、医学的に正しい知識で対処しましょう。

「にきび」は日本語では尋常性ざ瘡(じんじょうせいざそう)、と呼ばれる皮膚の病気です。

1.皮膚の皮脂腺の機能が亢進し、
2.毛包漏斗(毛穴)の角化障害に加えて
3.毛包内のアクネ桿菌の因子がからみあって出現します。

顔面だけでなく、前胸部、背部などにも出てきます。

二十歳過ぎまで悩まされる人もいますからきちんとスキンケアをしましょう。


★ 「にきび」はつぶそう!
「にきび」はきれいな手で内容物(うみ)を排出させましょう。
(白にきび)医療機関からの薬を使用して、早めに手当てをして下さい。
「にきび」の瘢痕(あと)が残るのは「にきび」をつぶさないからです。
皮膚が赤くてかたいだけの時期や「黒にきび」はつぶせませんので無理をしないこと。
にきびをつぶさないように指示される医師もおられます。
医師とよく相談しましょう。


★ 強く洗い過ぎないこと!
肌をきれいにしようとゴシゴシと洗っていませんか?
するように洗うとかえって「にきび」がひどくなります。
優しく洗顔して下さい。
朝と夕に加えスポーツなどで汗をかいた後も、微温湯で優しく丁寧に洗いましょう。(「にきびせっけん」をすすめます。)


★ 化粧品は極力控えて!
ファンデーション、粉お白い、油性の化粧品などは毛穴をふさぐ可能性が高いので極力使用を控えましょう。


★ 「にきび」を悪化させる原因を取り除こう!
1.食べ物:ピーナッツ、カシューナッツなどの豆類、ケーキなどバターなどの油分が多い食べ物、糖分の多い食品(清涼飲料水やチョコレート、油で揚げたスナック類)コーヒー、ココア、香辛料などの刺激物が悪化させる食品です。
2.生活習慣:寝不足、ストレス、疲労の蓄積などは悪化させる要因です。
3.頭髪:顔面とくに「あご」や「ほほ」、「ひたい」に髪の毛が触れるとその毛先の刺激で「にきび」ができやすくなります。
「にきび」を隠そうとする行為が「にきび」を増やす原因になっています。

★ 便秘は余り関係ない?
便秘と「にきび」は関連性があるように感じている人が多いのですが、医学的な関連は認められていません。
しかし便秘が改善すると「にきび」も改善する人がいるのは事実です。
(宿便という言葉がありますが、宿便というものは医学的には存在しませんので、宿便を前提にした話は信頼に値しません。)

という文書を配り始めました。
ごしごし洗っている人が意外と多かったことに驚いています。

第221段:サンバーンとサンタン(紫外線の話)

サンバーンとサンタンという言葉をご存知ですか?
日本語ではどちらも日焼けですが、英語では分けられていてサンバーンは紫外線に当たってその日のうちから現れる赤い日焼けです。
サンタンは赤い日焼けが消失した数日後から現れ数週間から数ヶ月続く黒い日焼けです。
(サンタンは小麦色の肌などといわれ健康的なイメージがありますが、誤りです)

日光浴というと健康的なイメージが多いのですが、最近の研究ではあまり日光にあたりすぎないほうがよいという説が主流です。
日光浴の目的は骨の病気の一つのクル病予防でしたが、クル病予防のためのビタミンDの生成のためには顔や手に1日に15分間紫外線に当たればよいということがわかりました。
つまり普通の服装で15分間戸外にいれば必要な紫外線は吸収できそれ以上は体に障害を起こす本になると考えてよいというわけです。

サンタンと呼ばれる小麦色の肌になるのは、肌が紫外線の障害を防ぐための反応ですから日にあたりすぎている注意信号です。
色が黒くなったから紫外線を吸収してくれるという話を聞かれてことがあるかもしれませんが。
誤りですサンタンでの日焼け防止効果はほとんど期待できず、安心しているとさらに症状を悪化させます。

曇りの日の紫外線はどうでしょう。
薄い雲なら紫外線の80%は通過します大気汚染があると紫外線はさらに強まると考えた方がよさそうです。
水の中に入っていても紫外線は減りません。
水の表面からの反射も多いので海水浴やプールではサンバーン、数日後のサンタンが起こりやすくなります。

夏と冬では夏場の紫外線が多いのですが、冬は雪による反射で意外と紫外線を多く浴びることがあります。安心は禁物です。

日焼け止めのクリームは一般に期待されるほどの効果はありません。
日光浴を中断しても中断の効果はなく障害は蓄積されます。
暑さを感じないから大丈夫と考えるのは誤りです紫外線は赤外線とは異なり当たっているときにそれを感じることがない種類の光なのです。

ところで、紫外線にあたりすぎて起こる障害をご存知ですよね?

 急性症状では日焼け(サンバーン)、雪目、免疫機能低下

 慢性症状では皮膚のしわが増える、シミが増える、老人斑の増加、良性腫瘍の増加、
 前がん状態(日光角化症+悪性黒子)、皮膚がん、皮膚以外では白内障、翼状片
などが知られています。

日本人などの黄色人種は白人に比べると若干皮膚障害の起こる率が低いことは知られていますが、だから安全というわけではありません。

健康的な小麦色の肌という概念は誤りです。
しっかり日焼けして元気にはなりません。病気になるだけです。
紫外線から体を守りましょう。
プロフィール

taijindo

Author:taijindo
島根県益田市にある松本医院(内科・小児科・アレルギー科)の院長です。

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